06.10.25 |
期日は7月末、とうとう診察の予約をしました。
以前の診察券があるので、予約は電話で簡単にできました。4月にイリウスで担当した医師の予約です。前回のように知らない医師よりはいいし、それにこちらとしてはそのまま入院させてもらうつもりでしたので、多少とも知っている医師の方が話しやすかったからです。
実際食べてもすぐ下痢、飲んでも下痢ですから身体は痩せ、おまけに腹は痛いでどうにもならない状態でしたから。
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そのままで入院してもいいように、当面の身のまわりのものを車に積んで診察に。
問診の結果、すぐに血液検査。その結果を見て判断しましょうということで、待合室で結果待ち。
周期的に襲ってくる腹の痛みは、待っている間に次第にひどくなってきます。座っていられないくらいの痛み、いすに横になってじっと我慢でした。
土曜日の昼過ぎは患者も少なく、ビニールレザー張りのいすは十分空いていました。時々看護婦さんが横目で見ながら横切って行きます。すると空気の流れが・・・
感じるわけないのに、異様に神経質になっていたようでした。 |
2時間ほど待たされたと思います。看護婦さんが、遅くなって申し訳ないと医者を呼んできてくれました。
結果は何も問題なし。残念というかなんというか、次回CTの予約と薬を数種もらってすごすご帰宅の徒。
栄養が摂れないので点滴入院でもという願いは、根拠ナシで退けられてしまいました。
帰宅翌日、
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昨日から食事は通常のものに戻し、油物・刺激物以外は気にしないで食べることにしました。
どういうわけか、その後痛みは軽くなり、非常に楽な状態です。薬でしょ うか、気分でしょうか。 とういう具合です。 |
などというメールを友人の医者に送っています。
実際ロキソニンという痛み止めの薬のせいでしょうか、僅かの期間人並みの生活ができたようでした。歩いたりするとすぐに痛むのですが。
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CTの結果が分かったのは9日後、既に8月に入っていました。
「 横行結腸の真ん中あたりに壁の厚いところがあり、ここに何らかの異常がある可能性が高い」と判定。翌々日に腸カメラ、胃カメラが決まりました。
医者はもう腫瘍だということは分かっていたんでしょうね。可能性は高いと。
壁が厚いとだけ言われても素人には何だか分からりません。でも痛みがひどく、聞く気力さえも失せていました。
胃はロキソニンにやられたせいか、食欲減退、多少の吐き気がありました。ロキソニンは結構胃を痛めるのだそうです。
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ここからはしばらく資料としてのメールが途切れています。なぜなら内視鏡検査の日にそのまま入院してしまったからです。ですので記憶だけを頼りに書き進めます。 |
8月9日、まず胃カメラ、続いて腸カメラと一気に内視鏡を体内に入れました。
胃カメラは何回か経験しています。そのたびにひどい痛みで不快な思いを経験していました。ですが今回はなぜか痛みはなし。他に痛いところがあったせいでしょうか?
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腸のカメラは初めてでした。ひどく痛いような話を聞いていたので覚悟していたのですが、今振り返ってそんな記憶はありません。憶えているのはモニターに写った腸壁の大きな腫瘍です。腸の穴をふさぐほどに大きな出来物でした。
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医者は慌てて妻を捜しに。私は検査室の前で痛みをこらえてベンチに座っていました。妻には大腸癌らしいということを話したようです。腫瘍も大きいと(私にはその日ではなく、後日改めて話してくれましたが)。
さて、今度ばかりはその場で入院です。残念ながら今回は準備はしていませんでした。そういうものなんですよね。 |
それから手続きなどを終え、入った部屋がなんと外科のICU。
ベットがそこしかなかったのです。私の行った部署は内科です。多分医者が無理矢理入れてくれたのでしょう。
「この状態では手術が必要になります。だから最初から外科病棟へ行った方がいいから」
これが担当医の言い分でした。 |
はっきりいって薄暗い、寒々しい部屋でした。普通の患者のいる所ではないですよね。夏の盛りでクーラーが効いています。やせ細った私には寒さがこたえる部屋でした。ベッドは6台。私は一番入り口の近く。
入院の翌日、外科の看護婦が病棟の案内をしてくれるということで廊下に出て説明が始まったとき、「内科のベッドが空いたから」ということで最初の引越し。1フロア上に移りました。 |
入院は8月9日。不思議なんですが、これから何かをするときはいつも9の付く日となります。
内科から外科へは19日、手術は29日。ずっと後の退院は12月9日でした。 |
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